久しぶりのブログの更新が悲しいご報告となってしまいましたが、我が父、アルツ君が急逝しました。
死亡診断書の死亡時刻は11月3日木曜日、午後3時10分です。
思いつくままに記事を書かせていただいていますので、読みにくい箇所もあるかと存じます。
またドタバタしていてすぐに記事も書くことができませんでした。
何卒ご理解の程を。
さて前回、前々回の記事でも書かせていただきましたが、アルツ君の処遇について古巣である特別養護老人ホームとの話し合いは上手く行かず、事実上特養への受け入れは拒否され、新しい受け入れ先を探していました。
7月4日からS病院の一般病棟に入院していたアルツ君ですが、10月14日に正式に特別養護老人ホームの退所の手続きを取り、10月16日からS病院の一般病棟から療養病棟に移り、新しい受け入れ先を探すという流れです。
そして新しい受け入れ先のCD病院が見つかり、転院の申し込みを済ませました。
医療保険を利用してのS病院の医療型療養病床(医療療養型病床)と違い、転院先のCD病院は存続か廃止か昨今取り沙汰されている介護療養型医療施設(介護療養型病床)で、介護保険を利用します。
そんなCD病院においても、待機人員は多く、転院するにも3~4か月は待たなくてはならないと言われていました。
年内の転院はきびしいのではと家族が考えていたところ、3~4か月どころか早くもベッドに空きができたという知らせが来ました。
転院日は2016年11月01日…。
転院先のCD病院からS病院にお迎えが来て、姉の立ち合いのもと、CD病院に転院しました。
S病院の看護師さんから笑顔で見送られ、本人も『ありがとう。ありがとう。』と穏やかに答えていたそうな…。
また、転院先のCD病院の薬剤師さんからは、『ずっと点滴もしていないし、こんなに飲んでいる薬が少ない方は初めてだ。』と言われたそうな…。
つまりアルツ君はそれだけ元気だったということ。
そんな中、アルツ君が転院して間もない11月03日の午後2時頃ヤッチの元へ登録していない番号からの携帯着信が有りました。
転院先のCD病院の医師からでした。
医師:「○○様(←ヤッチの名前)の携帯電話でよろしいでしょうか?こちらはCD病院です。私はCD病院の△△と申します。」
ヤッチ:「はい。」
医師:「実はキーパーソン(身元引受人)のお姉さまの電話に繋がらなくて、ご次男様の番号が書かれていたのでこちらに電話させていただきました。実はお父様が急変されてすぐこちらに来ていただけないでしょうか?」
『急変』という言葉にただならぬ状況だと判断したヤッチ…。
ヤッチ:「はい。お伺いします。」
医師:「どのくらい(の時間)でこちらにいらしていただけますか?」
実は、10月の半ばから、独居の母キノコさん(要介護2)も急激に体力がお衰え、自身でご飯を作れないほどの急降下で、ひとりにしておけない状況でした。
ツイッターではツイートさせていただきましたが、認知症の症状も出て、幻視、徘徊まであり、見守りが必要な状況。
- ヤッチのプロフィール
S病院にいる時のアルツ君については、食欲もあり、入院しているとはいえ、さほど心配しないでも病院で過ごしてもらえる状況だったので、母キノコさんのお世話にヤッチはややシフトしているような状況でした。
アルツ君と違って、言葉で説明するのは難しいほど、キノコさんの扱いは厄介。
取説にすると、かなり分厚い冊子なるような感覚です。
そんな母キノコさんを連れて病院に出向くか迷いましたが、まさかのことがあった場合、連れて行かないと後々面倒なことになりそうな雰囲気。
ヤッチ:「できるだけ早く伺いたいのですが、準備の都合もあるので、どうしても1時間ちょっとはかかるかと思います。」
医師:「そうですか。一刻を争う状況なのでなるべく早くいらして下さい。」
ヤッチ:「わかりました。できるだけ早くお伺いできるようにします。」
キノコさんに状況を説明し、タクシーを呼び大慌てで二人でCD病院に向かいました。
説明はしたもののキノコさんは理解していない様子でした。
アルツ君がS病院に居るときはS病院が自転車で行ける距離だったので、かなり無謀ですが、徘徊の危険のある母を残して毎日夕方になると、S病院にアルツ君の夕食の介助に出かけていました。
しかし、CD病院は自転車行けるような距離の場所になかったので、母を残してCD病院に行くことはできません。
母を一人にしてしまう時間が長くなってしまうからです。
姉がアルツ君の夕食の介助に行ってくれると言ってくれたので、アルツ君がCD病院に移ってからのヤッチは母キノコさんの病状が安定するまでの間、キノコさんのお世話に専念することにしました。
したがって転院してからはアルツ君と何日間か顔を合わせていません。
1時間程度でCD病院に到着。
しかし…
時すでに遅し…。
アルツ君の病室にたどり着いたときには、心配停止の状況でした。
アルツ君がCD病院に転院してからわずか2日後の出来事です。
医師が状況を説明します。
医師:「お電話を差し上げたときは、まだ呼吸もあったのですが、その後10分くらいしてからでしょうか、心電図計の針が伸び始めました。それからまた10分か15分、14時半くらいには呼吸をなさらなくなってしまいました。」
ヤッチ:「わずか30分かぁ…。じゃあ、電話をもらった時はまだ生きていたっていうこと?」
医師:「そうですね。私もコールで駆けつけ、できる限りのことはさせていただいたのですが、急変するのがアッというまでして…。わずか30分足らずでお亡くなりになられてしまったとういう感じでしょうかね。」
ヤッチ:「近くで顔を見てもいいですか?」
医師:「もちろん。」
アルツ君、まだ酸素マスクを付けたままです。
病院でお借りした車椅子に座っているキノコさんを立たせて二人でアルツ君の枕元に。
ヤッチはアルツ君の頬を触ります。
ヤッチ:「おっ。まだ、温かい…。それに顔も赤いね。」
キノコさんもアルツ君の頬を触ります。
キノコさん:「あら、本当だわ。眠ってるんじゃないの?ほら、起きなさい!起きなさい!」
ヤッチ:「おーい、旦那さ~ん。美味いもの持って来たぞ。おーい、目を覚ませ~。」
キノコさん:「眠ってるのよ。ほら。起きなさい!」
ヤッチ:「旦那さん、なんだか笑ってるみたいだね。美味いもん、食ってる夢でも見てるのかな。もうちょっと待っててくれればよかったのに反則だぞ?」
キノコさん:「絶対起きる。死んでなんかいない!」
ヤッチがアルツ君によくしていた質問をします。
ヤッチ:「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は?」
アルツ君:「…。」
ヤッチ:「歩く姿は?」
アルツ君:「…。」
ヤッチ:「返事しないね?」
キノコさん:「ぐっすり眠ってるのよ。」
懸命ににアルツ君を起こそうとするキノコさんを見て、認知症の症状が進んでキノコさんがこうアルツ君に呼びかけているのか、それとも現状を受け入れられないのか正直わかりませんでした。
そのキノコさんを見てヤッチは嗚咽を我慢するのに必死…。
医師:「そろそろ死亡の確認を取らせていただいてよろしいでしょうか?」
キノコさん:「まだ死んでない!絶対に起きる!」
か細い声ではありますが、やはり現状を受け入れられず混乱しているのがよくわかります。
ヤッチ:「進めて下さい。」
医師:「現在時刻は15時を回ったところです。死因はどうしましょうか?」
ヤッチ:「おいおい、そんなことを俺に聞かないで下さいよ。」
医師:「急激に病状が変化したことから、考えられるのは急性の心筋梗塞か、脳梗塞があげられます。」
ヤッチ:「解剖するわけにもいかないしな…。お任せします。」
医師:「それでは『脳血管障害』ではいかがでしょうか?」
ヤッチ:「急性心不全というのは?」
医師:「心不全というのは、脳血管障害でも、心筋梗塞でも心不全になるので、ご病名にはならないんですよ。」
ヤッチ:「じゃあ、我々が後の手続きで困らない病名を書いて下さい。」
医師:「わかりました。」
マヌケな会話をしながら、医師が今一度アルツ君のまぶたをめくります。
ヤッチにはそのアルツ君の目が『お前、美味いもんを持って来たんだろうな?』と流し目を送ったような気がしました。
しかし医師が手を放すとアルツ君、元の穏やかな顔に。
キノコさんが、『眠っているだけ』とういうのもわかる気がします。
医師:「それでは死因は脳血管障害ということにさせてください。15時10分、死亡を確認させていただきました。」
ヤッチ:「ありがとうございました。」
医師:「それでは死後処理をいたします。それまでデイルームをご用意いたしますので、そちらでお待ちください。その後、ご遺体のほうは霊安室にお運びしてもよろしいでしょうか?」
ヤッチ:「姉とまだ連絡が取れていません。霊安室で姉と父が御対面というのはちょっと悲しすぎるので、姉が来るまで病室で父を寝かせてあげるというわけにはいかないでしょうか?」
医師:「はい。そういうことでしたら、お姉さまがお見えになるまで病室にいらしていただきます。」
アルツ君の病室の階下のだれもいないデイルームに通されます。
キノコさんを暖房の効いている位置に座らせます。
キノコさんはずっと手を握り締めたままです。
キノコさん:「絶対、起きる。絶対起きる…。」
ヤッチはその姿を見るたびにグッとくるのに、キノコさんは一滴も涙をこぼしません。
姉と連絡が取れ、1時間くらいして、姉が姿を現し、ヤッチに近寄ります。
姉:「ごめんねええええええ。私がパパをここへ連れてこなければ、こんなことにならなかったのに…。あんたが一生懸命パパの面倒をみてくれていたのに私が台無しにしちゃったああああああ。」
姉が泣きじゃくります。
ヤッチ:「そんなことないよ。みんなで決めてここに連れてきたんだから。」
姉:「でもね。パパね。ここへ来て、最初の日はこんなに食べて大丈夫なのって思うくらいイッパイ食べたんだよ。『ありがとう、ありがとう。』って言って、動かないはずの右手まで動かしてたんだよ。それが次の日…、ちょっと病室が寒くて、熱が37度まで出ちゃったんだよ。私がきっと風邪を引かせちゃったんだよyyyyyy。」
ヤッチ:「こればかりは仕方ないよ。限られた予算で、設備もS病院に比べて劣っているのは承知の上だったんだから…。旦那さんもきっと許してくれるよ。」
姉が責任を感じる以前に、アルツ君を在宅で介護できない状況にしたのはヤッチ自身…。
むしろサポートしてくれた姉には感謝してもしきれないものが有ります。
姉が来たところで、再度病室に向かいます。
姉の旦那さんも来てくれています。
姉が父の枕元で号泣します。
姉:「ごめんね。パパ、ごめんね。ごめんね。ごめんね。わーwwwwww。」
キノコさんもアルツ君のそばにいます。
処理されたアルツ君の顔には名称は何というのかわかりませんが、顔からあごを一周するように包帯のようなものが巻かれています。
おそらく口が開かないように巻かれているのだと思います。
キノコさん:「こんなの巻いたんじゃ、きつくて苦しいんじゃない?息ができないし、首が締まっちゃうわよ。外してもらった方がいいわよ。これじゃあ、おじいちゃん、窒息して死んじゃうわよ。」
いやいや死んでるし…。
悲しみとは裏腹にアルツ君の鼻に詰められたワタをマジックで黒く塗りたい気分になるヤッチ…。
その後アルツ君の遺体は霊安室に移動になりました。
キノコさんの希望通り、アルツ君の顔に巻かれたものはヤッチが注文を付けて外してもらいました。
アルツ君を霊安室に移し、お線香をあげたところで、キノコさんの体力も限界に近づいていたので、ヤッチはキノコさんを連れて家に帰ることにし、その後は姉夫婦にアルツ君のことを任せました。
姉によると、霊安室は翌日の午前中(11月04日)までしか預かってもらえないということだったし、寒々しい屋外の物置のような場所だったので、その日のうちに葬儀屋さんを手配し、葬儀屋さんの一室をお借りし、アルツ君を暖かいところで寝てもらうことしたそうです。
その日のうちに納棺も済ませたようです。
親戚等とは音信不通なので、通夜・告別式等は行わず。
焼き場が混んでいることだったので、火葬は11月06日の日程になりました。
CD病院でアルツ君と一旦お別れしてから、3日後の11月06日、母キノコさんを連れてアルツ君が納棺されている葬儀屋さんに行ってきました。
キノコさんがアルツ君を一生懸命起こします。
キノコさん:「おじいちゃん、起きなさい。何時まで寝てるの?」
反応するわけはありません。
キノコさん:「今、左目がちょっと開いたわ。」
ヤッチ:「いつも旦那さんは『ばあさんはどうした?どうした?』とキノコさんの事ばかりを気にしていたからきっとうれしかったんだね。とても穏やかな顔をしているよ。」
キノコさん:「だめよ。両目をちゃんと開けないと。」
お昼過ぎの2時頃だったでしょうか、アルツ君の棺に大好きだったボタモチやアボカドなどを入れ、この日のうちに出棺し、都内の斎場にてアルツ君は骨になりました。
焼かれたアルツ君の姿を見て姉が号泣します。
姉:「パパがとうとう骨になっちゃったよよよよぉぉ!」
知らせを聞いて来てくださった姉の幼なじみに抱きつき涙しています。
ヤッチもこらえるのに必死で、骨を集めている斎場のスタッフさんに変な質問をします。
ヤッチ:「そこにあるのは鎖骨ですか?」
スタッフさん:「いえ、これは肋骨です。」
ヤッチ:「かっー。ぶっとい肋骨だなあぁ。」
スタッフさん:「鎖骨はこちらになりますね。」
ヤッチ:「これまた、頑丈そうな骨だわな。」
アルツ君の骨の量はさすがです。
通常の人の1.5倍はあるそうです。
年齢にして60歳代の人の骨の量だそうです。
その証拠に詰め込まないと骨壺に収まり切りませんでした。
骨壺に入った骨を見てヤッチが再び斎場のスタッフさんにたずねます。
ヤッチ:「触ってもいいですか?」
スタッフさん:「どうぞ。頭のお骨はもろいので。」
アルツ君の前頭葉と思しき部分を触ります。
まだ焼きたてのアルツ君の骨は温かく、不思議と今もアルツ君の骨を触ったヤッチの指はスベスベしています。
アルツ君のS病院に入院中は毎日夕食介助に出かけ、くだらない会話して帰ることを日課としていました。
大変といえば大変でしたが、楽しさの方が勝っていた気がします。(本人がどう思っていたかは別として…)
身体的なことを言えば、ここ最近のアルツ君は個人的には下降線というより、むしろ上り調子になりつつあると思った矢先の出来事でした。
そして、母の身体の具合が悪くなり、母の世話をしなくてはならない日が2日ほどあり、CD病院に行くことができませんでした。
なんだかこの2日間がとても長く感じられます。
もうあの絶妙の切り返しはアルツ君からは聞けないんですよね…。
食べ物の話で花を咲かせることもできないんですよね…。
そして、同時並行で母の介護が始まり、悲しみに暮れている余裕も無さそうです。
時折、左目がジンワリ熱くなるのは、最近打ったボトックス注射のせいでしょうかね~。
- 2016年07月04日
- S病院に誤嚥性肺炎で入院
- 2016年09月23日
- 特別養護老人ホームとの話し合いの結果他の療養型の施設を勧められる(事実上特養へは戻れないことに…)
- 2016年09月27日
- アルツ君の身元引受人である姉を通じて特養に退所の意向を伝える
- 2016年10月14日
- 正式に特別養護老人ホームを退所
- 2016年10月16日
- 新しい受け入れ先となるCD病院に転院の申し込み。S病院の一般病棟から療養病棟に移り、CD病院のベッドの空きを待つことに。
- 2016年11月01日
- CD病院に転院
- 2016年11月03日
- 急変し死亡
- 2016年11月06日
- 荼毘に付す
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FC2スレッドテーマ : 日々徒然なる話 (ジャンル : 福祉・ボランティア)
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