アルツ君は職人進行性核上性麻痺の疑いのある元植木職人のアルツ君(父)、アルツ君の愛妻キノコさん(母)、そしてアルツ君の息子ヤッチの日々の生活を紹介しています。
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70年前の戦後の記憶と記録(その1)

2018/09/27 (木)  カテゴリー: キノコさん
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MacArthur_and_Sutherland.jpg


こんばんは。

アルツ君の息子ヤッチです。

キノコさんの年金の話を書くと申し上げておきながら、ずっと記事を書いていませんでした。

ようやく記事を書けそうです。

まあ、ヤッチ一人が空回りしているだけで、年金の話はややこしいし、興味を引く話題ではないかもしれませんね。

最初のうちはちょっと難しい説明になりますが、ウザくても粘り強くご覧下さいね。

と、誰に同意を求めているんですかね?

母キノコさんですが、亡くなる1年ほど前まで、老齢に関しての年金をもらっていませんでした。

老齢基礎年金(国民年金)と老齢厚生年金(厚生年金)を受給しておらず、いわゆる無年金者でした。

老齢厚生年金はご存知のように、厚生年金に加入している会社(適用事業所)などに勤めたことがある方に支給される年金です。

現在も条件を満たせば、仮にその会社に1ヶ月しか勤めていない場合でも、その分の年金をもらえます。

で、キノコさんです。

ずいぶん過去の話ですが、そういった会社に勤めたことが無いか、ヤッチがたずねたことがあります。

ヤッチ:「昔さ、会社勤めしたことってないの?」

キノコさん:「そうね…。結婚する前にちょっとだけ出たことはあるけど、○○会社なんて、名前の付く大きな会社には勤めたことはないわね…。」

ヤッチ:「終戦後?終戦前?」

キノコさん:「終戦後よ。だって終戦前は女学校に通っていたんだから。それに…。」

ヤッチ:「『それに…。』ってなに?」

キノコさん:「それに、10年も20年も長く勤めたことないし、『あんたはもらえる資格がない』って言われたことがあるわ。」

ヤッチ:「誰が言ったの?社会保険事務所(今の年金事務所)の人?」

キノコさん:「たぶんそうだと思うけど、覚えていないわ。『脱退手当金をもらっているからダメだ』みたいなことを言われたような…。おじいちゃんの年金の手続きの時かしらね…。」

『おじいちゃん』というのは、キノコさんの夫、アルツ君のこと。

アルツ君はずっと植木職人だったわけではなく、サラリーマンをしていた時期があります。

サラリーマンの時期は結構長く、その期間が25年近く有ったので、老齢基礎年金、老齢厚生年金、両方の年金をもらっていました。

脱退手当金というのは、昔の年金制度の中で、将来年金として結びつかない人のために、いわば救済措置として、年金ではなく一時金と支給する制度。

積み立てを中途解約するような制度です。

現在の法制下でも、もらえる人は限られると思いますが、残っている制度かと。

でも、『脱退手当金をもらっている』というのはキノコさんの記憶違いか何かの間違いです。

少額とはいえ、まとまったお金が一時金として入るのですから、本人の記憶として残っているはず。

後に、これはやはり年金事務所に、記録として残っていませんでした。

その時の会話はそれでおしまい。

ヤッチもそれ以上追及することはありませんでした。

時が流れます。

父、アルツ君が亡くなります。

2016年(平成28年)11月3日の事です。

関連記事:

アルツ君は老齢基礎年金・老齢厚生年金を受給していましたから、年金をもらっている人が亡くなれば、自治体に出す死亡届とは別に、年金事務所にも死亡届を出す必要があります。

通常、年金は2ヶ月に一回の支給で、その2か月分を1ヶ月遅れでもらいます。

この『1ヶ月遅れ』によって、年金をもらっていた人が亡くなると、特別な事情が無い限り、まず例外なく、もらい損ねた年金が発生します。

未支給年金というやつです。

アルツ君は11月に亡くなっていますが、亡くなった月の11月分の年金まで受給できます。

10、11月分の年金は翌月の12月に支給されることになっています。

12月では、アルツ君本人はもう亡くなっていて、受け取ることができないので、この2ヶ月分が未支給年金。

年金事務所に提出する『年金受給権者死亡届』には、この未支給年金を請求する手続きの用紙がセットになっています。(2018年現在)

未支給年金をもらえるのは、生計を同一にしていた親族等、つまり我が家の場合、キノコさんがもらうことになります。(先取権順位は配偶者が一番上)

またアルツ君は、亡くなっていて、自分で自分の死亡届を出しに行けませんから、キノコさんが手続きをすることになります。

アルツ君は、亡くなった当初は特別養護老人ホームに住民票がありました。

キノコさんは生活保護を受給し、アパートで独り暮らし。

二人の住民票は別々…。

さらっと書いてしまいましたが、別々に暮らしていたのだから、『生計を同一にしていた』とは言えないのでは?という疑問が残ります。

でも大丈夫。

面会などで、定期的な音信が有れば、年金受給の際は、『生計同一』関係が認められるようです。(第三者の証明が必要。)

ドキッとされた方は、これから先の事を考え、ホームにはなるべく足を運びましょう。

で、当時のキノコさんはアルツ君が亡くなったばかりですし、とても一人でそんな手続きをする余裕はありませんでした。

それを抜きにしても足腰が弱っていて、年金事務所に手続きに出向くことができる健康状態ではありませんでした。

ヤッチがキノコさんに委任状を書いてもらい、ヤッチが手続きすることになりました。

ここで、一般の人と違うのは、キノコさんが生活保護を受けているということ。

生活保護を受け、未支給の年金を受け取ると、それは収入として、後日、福祉事務所に申告しなくてはなりません。

年金を扱う年金事務所と生活保護を扱う福祉事務所との間に横のつながりはありません。

これまで受けていた保護費によって変化しますが、受け取った年金を申告すれば、『返還金』として、キノコさんの場合、全額福祉事務所を介し、国や自治体等に返納です。

生活保護を受けていなければ、受け取った年金は一時所得として、金額によっては所得税の申告が必要になることもありますが、概ね全部自分のもの。

相続税の対象となるようなこともありません。

でも、キノコさんは生活保護を受けていたので、『それだけのお金が有ったなら、生活保護費を支給しなくても自分の生活を賄えたんだから、お金を返してくださいよ。』という論理のもと、返還しなくてはなりません。

申告しなければ、当然、昨今話題の不正受給になる可能性大です。

何が申し上げたいかと言えば、キノコさんが未支給年金を請求し、それをもらったとしても、キノコさんの手元には一円も残らないということです。

バッシングを受けそうなので、お断りしておきますが、保護費相当額のお金は手元に残って、プラスアルファのお金は入らないという意味です。

おまけに、その手続きをヤッチが代わってやるので、ヤッチの駄賃は出ません。

未支給年金の請求は福祉事務所に相談してから提出することにして、死亡届だけを提出しようと、ヤッチは予約を取らずに、最寄りの年金事務所に出かけました。(予約優先で待たされます。)

たしか、2016年11月の末だったと記憶しています。

死亡届だけを出して、未支給年金の請求はしないということは、後々、波紋を呼ぶことになるのですが、これはまた別の機会にお話ししたいと思います。

ヤッチには別の目的がありました。

未支給年金の請求ではなく、キノコさん本人が老齢年金をもらえるかの相談です。

もし、キノコさんがこの先老齢年金をもらえて、その額が多ければ、生活保護を受けなくても済むかもしれないと考えたからです。

金額によっては、生活保護の『返還金』となってしまうかもしれませんが、キノコさんの60歳時点にさかのぼって、老齢年金をもらえるかどうか、今後何かあった場合にそなえて、調べておくことは悪いことではないように思えます。

キノコさんの世代だと、年金の受給資格が有れば、60歳から老齢厚生年金を受給でき、65歳から老齢基礎年金と老齢厚生年金の両方の年金をもらえます。

キノコさんは昭和3年生まれですから、もしもらえるならば昭和63年から、亡くなる平成30年4月まで年金を受けられることになります。

この時はまだ、こんなに早く亡くなるとは思っていませんでしたから、『将来ずっともらえる』の方が正しい表現かな?

この過去にさかのぼった相談をしようというのがヤッチの考えでした。

年金事務所の相談窓口で、アルツ君の死亡届を出した後、ヤッチは切り出します。

ヤッチ:「母からもらった委任状があるので、母の年金についてもお伺いしたいことがあるんですが?」

相談員さん:「はい、どういった事でしょうか?」

ヤッチ:「実は母なんですけど、年金を受給していません。過去にさかのぼって、受給資格が有るか調べて欲しいんですけど?」

相談員さん:「わかりました。お母様の生年月日を教えてください。」

このあと、キノコさんの生年月日のほかに、旧姓だとか、アルツ君といつ結婚したかとか、職歴等々、いろいろ聞かれました。

ヤッチ、キノコさんがアルツ君といつ結婚したかも知りませんでした。

まあ、年金事務所のデータに有ったようなので、この辺は問題無かったんですが…。

相談員さん:「お母様、もしかすると年金がもらえるかもしれませんよ。」

ヤッチ:「それは、どういう理由で?」

相談員さん:「ご主人様(アルツ君)と婚姻期間が長いので、よく計算してみないとわかりませんが、それだけで、まず国民年金の受給資格を満たしそうですよ。」

ヤッチ:「ほんとですか?」

相談員さん:「はい、カラ期間といって、年金額には反映されない期間なんですけど、もしお勤めとかしていたら、そのお勤めしていた期間の年金(老齢厚生年金)が出るかもしれません。」

ヤッチ:「脱退手当金をもらっているとか、本人は申しておりましたが…??」

相談員さん:「ハッキリとここで『もらえます』とは、断言できませんが、脱退手当金の事が有っても、受給できる可能性の方が高いです。」

ヤッチ:「勤めに出たことがあると申していましたが、長くは勤めていなかったようなので、もらえる金額も少ないんでしょ?」

相談員さん:「それを計算するためには、お母様がいつ、どこにお勤めだったか、どの程度の期間お勤めだったか照会をかける必要があります。お母様がお勤めだったという会社は?」

どうも、相談員さんの前にあるパソコンには、キノコさんの職歴も年金額も表示されているような気配。

おわかりになっていながら、こちらに探りを入れている様子にさえ見えます。

ヤッチ:「ここは電話を使用してもいいんですか?もし、OKなら、家にいると思うので、確認できると思いますが?」

相談員さん:「構いませんよ。」

ヤッチはキノコさんに電話をかけます。

キノコさん:「もしもし。」

ヤッチ:「今、大丈夫?○○詐欺を働こうとしているお宅の息子なんですけど?」

キノコさん:「…。」

ヤッチ:「冗談だよ。俺の生年月日は昭和○○年○○月○○日。父の名前は○○○。頭が大分というか救いようのないほど薄くなっています。○○川で旦那さんが拾ってきた次男。」

キノコさん:「やーだ。びっくりさせないでよ。それでなくても心臓が悪いんだから…。」

ヤッチ:「今、年金事務所に来ているんだけど、あなたの事で相談してるんだよ。前に勤めていたことがあるって言ってたよね?」

キノコさん:「うん。ずいぶん前にね。」

ヤッチ:「なんていう会社に勤めていたか覚えてる?」

キノコさん:「覚えてないわ…。名前なんか無かったと思うわ。最初に勤めたところは、みんな『かまぼこハウス』って呼んでたわ。」

ヤッチ:「『か・ま・ぼ・こ・ハ・ウ・ス』…?工場か何か?」

キノコさん:「違うわよ。なんと言ったらいいのかしら、今なら、ウエイトレスみたいな仕事よ。」

ヤッチ:「それは初耳だな。そのウエイトレスをやっていた店の名前が『かまぼこハウス』なの?」

キノコさん:「違うわよ。家族が来る食堂よ。進駐軍の家族。その進駐軍の将校たちが住んでいる家の事を当時は、『かまぼこハウス、かまぼこハウス、』って、呼んでたのよ。牧師さんもいたわよ。」

ヤッチ:「へー!これまた、驚きだなー。どこに有ったの?」

キノコさん:「あれはね…。今でいったら、どこになるのかしら。都電くらいしか通って無かったからね。皇居のそばよ。」

ヤッチ:「皇居?そんなところに食堂が有ったの?」

キノコさん:「そうよ。お濠のすぐそばよ。食堂が有ったのは、『かまぼこハウス』の中よ。」

ヤッチ:「ははー。ちょっと見えてきたぞ。GHQ関連の施設か何かだ?」

キノコさん:「そうそう。当時はGHQって言うより、みんな進駐軍って言ってたのよ。」

ヤッチ:「で、そこ以外に勤めたところは?」

キノコさん:「そこがだんだん人手が余ってきたかしら…。よくわからないけど、『五反田の方に行ってくれ。』って言われたような気がするわ。」

ヤッチ:「五反田?なんていう会社?」

キノコさん:「それも名前が無いのよ…。確か、島津藩の別荘か何かが有ったのよ。」

ヤッチ:「別荘?島津藩というのは薩摩の島津藩のこと?」

キノコさん:「そうよ…。なんて言ったらいいのかしら、別荘かどうかは、ハッキリしないけど、旧の島津藩の公爵の家が有ったのよ。そこに進駐軍の将校たちが寝泊まりするところが有ったのよ。」

ヤッチ:「そこで、何をしてたの?」

キノコさん:「やっぱり、ウエイトレス…。食堂よ…。」

ヤッチ:「へー、今のメイド喫茶の先駆けだねー?」

キノコさん:「メイドさんというのは別にいたわ。五反田の方にいたかどうか、覚えてないけど、『かまぼこハウス』には、たしかメイドさんがいて、その子たちがお世話をしてたわ。わたしはウエイトレス。でも当時はウエイトレスなんて言葉、使わなかったわよ。」

ヤッチ:「じゃあ、その五反田の食堂、旧島津藩邸とやらもやっぱりGHQ関連?」

キノコさん:「そうね…。そういうことになるのかしらね…。」

ヤッチ:「よしゃー、わかった。相談が終わったら、なるべく早くそっちに行くよ。」

ヤッチは電話を切ります。

目の前にいらした年金事務所の相談員さんはキノコさんとヤッチの電話の内容がほぼわかっている様子で、照会票を用意して待っています。

ヤッチ:「お待たせして、申し訳ありません。GHQ関連の食堂でウエイトレスをしていたことがあるようです。一つは皇居のお濠の近く。」

相談員さん:「2ヶ所以上では、ございませんでしたか?」

ヤッチ:「母の話では、2ヶ所です。」

そうしましたら、ここにまず、『駐留軍』でもいいし、『進駐軍』でもいいので、お勤め先のところに書いてください。

相談員さんが照会票の用紙をヤッチの目の前に置きます。


ヤッチは相談員さんの言われるままに、用紙を埋めていきます。

相談員さん:「こちら(日本年金機構)の記録は2ヶ所だけなので、お母様のおっしゃる記憶は間違っていないと思います。」

ヤッチ:「書かせてもらった記録なんですけど…。母が皇居のそばだと言っていた『かまぼこハウス』と『旧島津藩邸』の順番が逆ですけど?『かまぼこハウス』が先に勤めていた所だと母は言っていましたが?」

相談員さん:「厚生年金の加入期間を把握するためのものですし、こちらで把握していますので、書き換えなくても大丈夫です。」

画像のように、相談員さんに言われるままに書きましたが、母の記憶が正しいとすると、『かまぼこハウス』が先で、五反田の方を後に書かなくてはいけません。

また、『ビレッチングセクション』と書けと言われましたが、これがキノコさん言う『かまぼこハウス』のことなのでしょうか?

質問するのを忘れました。

未だに謎のままです。

GHQ関連の資料を調べても、よくわかりません。

なんとなくですが、駐留軍の個人住宅のことを『ビレッチングセクション』と呼ぶような感じですが…???。

このあと、相談員さんの目の前にある端末(パソコン)によって、キノコさんの厚生年金の加入記録が、短い期間ですが、19ヶ月あることがわかりました。

国民年金、つまり老齢基礎年金については、受給資格が有るというだけで、もらえる金額はゼロだと思っていましたが、アルツ君との婚姻期間が長かったおかげで、『加給年金』や『振替加算』が付きそうです。

この説明はヤッチにはとても難しいので、日本年金機構のリンクを貼っておきます。

要は、キノコさんのもらえる年金が増えるということです。

国民年金から老齢基礎年金を受給できるということは、キノコさんの19ヶ月分の厚生年金加入期間も老齢厚生年金として受給できることにつながります。

参考:

この時はまだ、年金の請求をしていませんから、請求してみないと、受給できるかどうかはわかりません。

ヤッチ:「今、ここで、年金額の計算を出せますか?」

相談員さん:「概算程度でよろしければ、出せますけど。あくまでも見込み額ということなら。」

このあと、キノコさんの年金額も出してもらいました。

年額で、30万円を少し下回る程度、月額にすると、2万5,000円に届かないくらいですかね。

少額であるにせよ、ちり、もつ、レバー、山に盛るです。

ヤッチ:「これ、時効に引っかかる可能性というのはどうなんでしょう?今も5年ですか?」

相談員さん:「そうですね。ご存知のように、年金は請求をしていないと、5年までの分しか支払われません。それより前は、原則、時効になってお支払いはできません。」

ヤッチ:「時効にならないで、特例で受給権を獲得した当初までさかのぼって支払われる可能性もありますよね?」

相談員さん:「『時効特例給付』というのが、ございますが、これも請求を掛けてみないと、今ここでお答えできる内容ではございません。」

年金は請求があってはじめてもらえるもの。

65歳で年金をもらうことができるのに、請求をしないでそのまま放置し、例えば80歳になって請求の手続きをしても、過去にさかのぼってもらうことのできる年金は、75歳からの5年分だけ。

それより前の年金は時効でもらうことができなくなってしまいます。(将来の分は変更なくもらえます。)

つまり10年分損をしてしまうということになります。

『時効特例給付』というのは、いろいろ条件がありますが、簡単に言ってしまえば、この5年の時効に関係なく、もっと前の年金も支払われるというものです。

参考:

今の例なら、10年分損をしたという部分についても全部支払われる給付制度です。

ただし、特例に該当するかどうかには細かな条件があります。

ヤッチ:「わかりました。請求するかどうかは、本人の意思確認も必要だし、福祉事務所とも相談しないとですから、請求の用紙だけいただけますか?それと父の遺族厚生年金の請求の申込書も?」

相談員さん:「せっかくもらえそうなのですから、すべて請求をされたらよいと思いますよ。請求が遅くなれば、どんどん時効で金額が目減りしてしまいますし…。」

ヤッチ:「ありがとうございます。できるだけ、その方向で動いてみます。ありがとうございました。」

ヤッチは年金の請求の際の添付書類の説明を受け、年金事務所を後にしました。

勘違いしないでくださいね。

これ、アルツ君が亡くなって間もない2016年11月の話ですからね。

ヤッチはキノコさんの部屋に戻ります。

キノコさん:「何だったの?」

ヤッチ:「『何だったの?』って、ご挨拶だね。奥様の年金の相談をしてきたんじゃないかよ。」

キノコさん:「あらまー。それで?」

ヤッチ:「年金をもらえそうだよ。」

キノコさん:「いつから?」

ヤッチ:「請求をしてみないとわからないよ。なんだか提出する添付書類がいっぱいあるからし…。住民票をもらうにも、年金の委任状とは別の委任状が必要。それに、奥様の場合は、サイパン島から書類を取り寄せなくちゃいけないみたいなことを言ってたからさ…。」

キノコさん:「サイパンに行かなくちゃダメなの?」

ヤッチ:「どこにそんな金が有るんだよ???」

キノコさんはサイパン島生まれ。

だからって、ヤッチはハーフではありませんよ。

キノコさんは日本人。

戦前のサイパン島は日本の統治領。

キノコさんの父親(広島県出身)が神戸からサイパン島に移り住み、今は幻となった新聞社を経営していたそうな…。

多くの島民の下男を抱え、優雅な生活を送っていたと聞いております。

社長令嬢だったんですね~。

浜辺にはオコゼが沢山いるから泳いじゃいけないと親から言われ、あんなに綺麗な海なのに一度もサイパンの海で泳いだことが無かったそうです。

なので、かなづち。

また、昭和初期のサイパン島には沖縄県の人たちも多く移住していたと、この時初めてキノコさんに教えてもらいました。

さらに余談ですが、サイパン島には、タピオカ工場が有り、タピオカ工場の前を通ると、『臭かった。』と本人が申しておりました。

キノコさんのタピオカ嫌いはここに原点があったようです。

結局、いわゆる『サイパン島の玉砕』の前に、戦火を逃れるため、船で内地(日本)に何日もかけて戻って来たそうです。

そこからは、ずっと東京住まい。

十分、身バレしそうな勢いですが、話しを年金の話に戻します。

ヤッチ:「お宅が『かまぼこハウス』でウエイトレスしていた時の記録が出てきたから、厚生年金も出そうだよ。」

キノコさん:「えー。そんなのまでもらえるの?」

ヤッチ:「多分、キノコさんが60歳になった時点では、この記録がデータベースに無かったんだと思うよ。」

キノコさん:「どういうこと?」

ヤッチ:「昔はパソコンなんて無かっただろ?」

キノコさん:「そうね…。」

ヤッチ:「会社で何か記録するにしても、今みたいにパソコンに入力していたんじゃなくて紙の帳簿に記録していたと思うよ。紙の記録を役所に持って行って、また紙の記録にするんだから、ミスが出るよ。」

キノコさん:「まあ、そーね…。」

ヤッチ:「で、紙に記録するんじゃなくて、パソコンに入力して、オンライン化したのは、多分平成になってからだだから、最近になって記録が出てきたんじゃない???」

キノコさん:「なんだか、よくわからないわ…。」

ヤッチ:「俺だって、推測で話してるんだからわからないよ。」

キノコさん:「まー。」

ヤッチ:「記録は出てきたのはいいけど、旧姓の記録で、誰だかわからないし、どこにいるのかもわからないから、連絡のしようが無かったっていう話になるじゃないかと思うよ。」

キノコさん:「ややこしい話しねえ…??」

ヤッチ:「紙台帳をパソコンに入力して、データベースとして蓄積する作業が順調にいかなかったんじゃないかな。未だに処理しきれてないらしいよ。」

キノコさん:「データベース???」

ヤッチ:「わかりやすく言えば、紙の記録を日本年金機構のパソコンに放り込むんだよ。」

キノコさん:「まあ!乱暴ね!」

(その2)へつづく

70年前の戦後の記憶と記録(その2)

Photo:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

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2018/09/27 | コメント (0) | トラックバック (0) | ホーム | ▲ Page Top

70年前の戦後の記憶と記録(その2)

2018/09/27 (木)  カテゴリー: キノコさん
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女性軍人の行進~東京都


こんばんは。

アルツ君の息子ヤッチです。

前記事からのつづきです。

前記事:

2016年頃の会話です。

ヤッチ:「それにしても、よくいろいろと覚えてたよね。すごいよ。」

キノコさん:「何が?」

ヤッチ:「勤め先のことだよ。」

キノコさん:「あー。あれね。戦争の前後の事はよーく覚えているわよ。」

ヤッチ:「でも、俺、今まで一度もウエイトレスをしてたなんて聞いたことないぞ。」

キノコさん:「『かまぼこハウス』のこと?」

ヤッチ:「そう。」

キノコさん:「当時はまだね、あんたは知らないと思うけど、進駐軍のところで働いているなんて、大っぴらにできなかったのよ。」

ヤッチ:「なるほど…。敗戦国だもんな…。でも、今はそんなの関係ないじゃん?」

キノコさん:「そうだけど。あんたに教えてなかった?」

ヤッチ:「そこは忘れてるんだね?」

キノコさん:「もう、何十年も前の話よ。」

ヤッチ:「そうだよな。70年前?いや、もっと前か?終戦はいつだっけ?」

キノコさん:「昭和20年。」

ヤッチ:「さすが!」

キノコさんには結局、見せてあげることはできませんでしたが、最近になって、当時のことをいろいろ調べていたら、キノコさんの言っていた『かまぼこハウス』の写真が出てきました。

しかも、カラー…。

画像はクリック、またはタップで拡大可能です。




どうやら、『かまぼこハウス』の正式な名称は『パレス・ハイツ(Palace Heights)』が正解なようです。

現在の三宅坂周辺、跡地には国立劇場、最高裁判所が建っている場所です。

現在の住居表示でいけば、東京都千代田区隼町。

東京にお住いの方なら、だいたいどの辺りか見当が付くのではないでしょうか。


このキノコさんが言っていたパレス・ハイツは、昭和20年12月にアメリカ軍に接収され、昭和33年11月に返還されるまでの間、アメリカ軍将校の宿舎として使用されていたようです。

キノコさんの話では軍人さんだけではなく、その家族も住んでいたと言っていましたから、1棟ごとに家族が住んでいたのかもしれません。

記事のトップ画像を含めて、転載させてもらった画像は、国立国会図書館デジタルコレクションのモージャー氏撮影写真資料です。

国立国会図書館は今なら首都高速4号線を挟んで『かまぼこハウス』とお向かいになるロケーションですね。

図書館の資料によれば、当時GHQの文官として勤務していたアメリカ人モージャー(Robert V. Mosier)氏が撮影した写真を後の2008年に、その親族が国会図書館に寄贈したようです。


建物屋上のMosier氏~場所不詳日本人女性とMosier氏~場所不詳

モージャー氏撮影写真資料(一部抜粋)
受入
2008年、米国在住のモージャー(Robert V. Mosier)氏の親族からカラースライド(304枚)の寄贈を受けた。当館においてデジタル化作業を行い、2017年、デジタルコレクションで公開した(なお、デジタルコレクションでの公開にあわせ、紙の複製資料(憲政資料室収集文書1416)は利用不可)。
主な内容
モージャー氏が、第二次世界大戦後、GHQの文民スタッフ(civilian secretarial staff)として1946年4月から1947年1月まで日本に滞在した際、東京、名古屋、広島等の全国各地で撮影した街頭風景や建築物のカラー写真。

画像については、「インターネット公開(保護期間満了)」となっていて、著作権保護期間が満了しているので、転載可能のものです。

ただ、モージャー氏撮影写真資料は304枚もの画像が収録されているので、ちょっと全部を紹介するわけにはいきません。

記事の最後に一部を紹介しますね。

また、すべてをご覧になりたいという方のためにリンクも貼っておきますね。

参考(引用元):

この、キノコさんの勤めていたという『かまぼこハウス』ですが、何でこんな形だったんでしょうかね。

たくさんの駐留軍兵士を収容しなくてはならないため、この形状のものの方が早く作れたのでしょうか?

紹介させていただいたモージャー氏撮影写真資料とは別のサイトに、白黒ですが、より鮮明かつ全容を見ることができる写真を見つけました。

でも著作権の都合上、ここに画像を貼ることができません。

リンクだけ貼っておきます。

画像リンク:

FLASHBAKのページの中段以降に画像があると思いますが、大そうな敷地面積…。

ヤッチはキノコさんが『食堂』なんて言うから、こんな大規模なものだとは思いませんでした。

ヤッチ:「『かまぼこハウス』の後に今度は五反田に勤めたんでしょ?」

キノコさん:「島津家ね。」

ヤッチ:「五反田のどの辺?どっち口?」

キノコさん:「どうだったかしら…。」

ヤッチ:「そこも食堂だったんでしょ?」

キノコさん:「そう、丸々一つのお屋敷をレストランというか、食堂にしてたのよ。将校の宿舎よ。ペーペーは居ない…。」

ヤッチ:「それが旧島津公爵邸ということだ?」

キノコさん:「そうそう。」

こっちの方は、『五反田 島津藩』で検索をかけると、すぐにわかりました。

現在の清泉女子大学の本館になっています。

旧島津公爵邸は戦後昭和21(1946)年1月にGHQに接収され、駐留軍の将校宿舎として昭和29(1954)年まで使用されていたようです。


参考リンク:


ヤッチ:「戦後まもない頃だから、通うのも大変だったでしょ?」

キノコさん:「どうだったかしら?どうやって通ってたか、そこだけはあまり記憶がないわね…。」

ヤッチ:「職場の雰囲気はどうだったの?」

キノコさん:「あんまり、おしゃべりした記憶がないわね。食堂に来る将校はみな紳士だったわよ。ただ、軍隊だから、軍人同志は規律が厳しいの。『イエス・サー!ノー・サー!アイ・ドント・ノー・サー!』って…。」

ヤッチ:「ふ~ん…。給料はどうだったの?GHQ関連だから結構いいお金もらってたんじゃない?」

キノコさん:「そうね、おそらく日本の会社に行くよりはもらっていたかもしれない。いくらだったかしら?700円?7,000円?覚えてないわ。」

ヤッチ:「米軍さんだから、チップとかくれたんじゃない?」

キノコさん:「ヒ・ミ・ツ…。」

ヤッチ:「なんだ?今さら。」

キノコさん:「チップをもらっちゃダメだって言われてたから。」

ヤッチ:「デートのお誘いは?」

キノコさん:「やーねー。」

ヤッチ:「どう考えたって当時は日本人より外人さんの方がお金を持っていただろ?お妾さんになる人だっていたんじゃない?」

キノコさん:「そういう人も確かにいたわね。お金が無くて自分の家族のためにっていう人もいたわ。」

ヤッチ:「で、キノコさんは?」

キノコさん:「…。」

キノコさんが指でバッテンマークを作ります。

ヤッチ:「なんだ?どういうこと?」

キノコさん:「『ベービーちゃん、ダメね…。』って…。」

ヤッチ:「なんだ?なんだ?ちゃんと教えろよ。」

キノコさん:「当時は、働いているみんなに、将校たちが、あだ名を付けていたのよ。だから、当時働いている人の名字とか、全くおぼえていない…。」

ヤッチ:「で?」

キノコさん:「わたしのあだ名はベービーちゃん。」

ヤッチ:「へー。なんで?」

キノコさん:「他の人に比べると、幼い顔をしていたから。」

ヤッチ:「へー!ベービーちゃんね。じゃあ、これから、ベービーちゃんて呼んでやるよ。」

キノコさん:「やめてよ。」

ヤッチ:「それで、なんで、将校が『ベービーちゃん、ダメね…。』って言ったわけ?」

キノコさん:「真面目だったから。」

ヤッチ:「誰が?」

キノコさん:「ワ・タ・シ…。」

キノコさんは人差し指で自分の鼻をツンツンします。

ヤッチ:「ああ、なるほど!誘いにキノコさんが乗ってこないから、『ベービーちゃん、ダメね…。』なんだ?」

キノコさん:「そ。もういいでしょ!」

ヤッチ:「でもさ、その時、キノコさんが誘いに乗っていたら、アメリカ暮らしだったかもな?」

キノコさん:「そうね…。そのかわり、あんたも、ここに、いないわね!」

キノコさん

さすがでした…。

(; ̄ー ̄川 アセアセ


お約束通り、モージャー氏の写真(一部)を載せておきますね。

これらの写真は何年か前に、話題になったらしいですが、ヤッチは最近知りました。

ご存知の方も多いかもしれませんが、ご存知ない方のために…。

自分の知っているところが有ったりすると、結構感動を覚えます。

当時を知る貴重な資料として、ずっと残しておきたいですね。

画像はクリック、またはタップで拡大可能です。

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帝国ホテル~東京都
帝国ホテル~東京都


明治生命館~東京都
明治生命館~東京都


日比谷公園交差点(有楽門前)での交通整理の米軍兵士と日本人警察官~東京都
日比谷公園交差点
(有楽門前)での
交通整理の
米軍兵士と
日本人警察官
~東京都~


国会議事堂とスクールバス~東京都
国会議事堂

スクールバス
~東京都~


岸本ビル 内外ビル 日本郵船ビル 東京海上ビル~東京都
岸本ビル
内外ビル
日本郵船ビル
東京海上ビル
~東京都~


東京PX(松屋本店)~東京都
東京PX(松屋本店)
~東京都~


日比谷帝国生命館(後の朝日生命)~東京都
日比谷帝国生命館
(後の朝日生命)
~東京都~


聚楽園弘法大師像と米軍軍人~愛知県
聚楽園弘法大師像

米軍軍人
~愛知県~


原爆ドーム(広島県産業奨励館)~広島県
原爆ドーム
(広島県産業奨励館)
~広島県~


原爆ドーム(広島県産業奨励館)と焼け跡風景~広島県
原爆ドーム
(広島県産業奨励館)

焼け跡風景
~広島県~


名古屋松坂屋~愛知県
名古屋松坂屋~愛知県


大阪PX(そごう大阪店)~大阪府
大阪PX
(そごう大阪店)
~大阪府~


占領軍クラブSTORK CLUB (後藤家木曽川別荘)入り口の看板~岐阜県
占領軍クラブSTORK CLUB
(後藤家木曽川別荘)
入り口の看板
~岐阜県~


製作中の和傘~岐阜県
製作中の和傘
~岐阜県~


製作中の和傘02~岐阜県
製作中の和傘02
~岐阜県~


女性と南大津通7丁目の標識~愛知県
女性

南大津通7丁目の標識
~愛知県~


名古屋城の焼け跡~愛知県
名古屋城の焼け跡
~愛知県~


通行人~愛知県
通行人~愛知県


日用品店(オカヤ商店)~場所不詳
日用品店
(オカヤ商店)
~場所不詳~


平安神宮神宮道(表参道)と大鳥居~京都府
平安神宮神宮道
(表参道)

大鳥居
~京都府~


美容室(ビューティーセンター名宝マロミ美容室分室)と通行人~場所不詳
美容室
ビューティーセンター
名宝マロミ美容室分室

通行人
~場所不詳~


少年たち~場所不詳
少年たち~場所不詳


建設中の丸栄百貨店~愛知県
建設中の丸栄百貨店
~愛知県~


露店と映画演劇の広告看板~愛知県
露店と
映画演劇の
広告看板
~愛知県~


松坂屋前の路上~愛知県
松坂屋前の路上
~愛知県~


京都市役所(「CityHall」の表示あり)~京都府
京都市役所
「CityHall」の表示あり
~京都府~


名古屋市役所愛知県庁~愛知県
名古屋市役所愛知県庁
~愛知県~


空襲で被災した松坂屋~愛知県
空襲で
被災した
松坂屋
~愛知県~


4人の子どもと富士山~山梨県山中湖畔
4人の子ども

富士山
~山梨県山中湖畔~


横浜駅東口駅舎~神奈川県
横浜駅東口駅舎
~神奈川県~


参謀本部焼け跡~東京都
参謀本部焼け跡
~東京都~


アーニーパイル劇場(東京宝塚劇場)~東京都
アーニーパイル劇場
(東京宝塚劇場)
~東京都~


東京駅丸の内駅舎(修理中)~東京都
東京駅丸の内駅舎
(修理中)
~東京都~


第一生命館前のマッカーサー乗用車~東京都
第一生命館前

マッカーサー乗用車
~東京都~


第一生命館前のマッカーサー元帥~東京都
第一生命館前

マッカーサー元帥
~東京都~


第一生命館前の軍人~東京都
第一生命館前の軍人
~東京都~


第一生命館~東京都
第一生命館~東京都


現在の第一生命本社~東京都
現在の第一生命本社
~東京都~


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2018/09/27 | コメント (4) | トラックバック (0) | ホーム | ▲ Page Top
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